【SYNTH(シンス)北浜ブログ】北浜の歴史についてご紹介★|株式会社SYNTH

皆様こんにちは!
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GWも終わり、30度を超える日も出てきましたね♪
レンタルオフィスSYNTHではクールビス仕様となりました!
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

今回は、シェアオフィスSYNTH北浜の所在地である"北浜"の歴史について紹介していきます♪

北浜、金融の町のはじまり

皆様ご存知の通りレンタルオフィスSYNTH北浜は金融の地として有名なビジネス街です♪

では北浜はいつから金融の地として有名になっていったのでしょうか?

始まりは江戸時代です♪

当時、領民は領主に年貢としてお米を納めていました。しかし、お米では商品は買えません。
なので領主たちはお米を当時の硬貨である金・銀・銅(銭)に替えなければいけませんでした。

そこで当時流通の便が良かった大坂の中心、北浜に米市場ができました。

米市場を作ったのは淀屋橋を私財で建てた江戸の豪商「淀屋」。
そこから北浜には取引するお米を保管しておくため蔵屋敷が多く建てられ、ビジネスチャンスをかぎつけた商人たちが両替商となり
北浜に多くのヒト・モノ・カネが集まりました。それにより北浜は多くの情報が集まる土地にもなりました。

米市場は元禄10年(1967)に交通妨害になることなどから堂島に移転されるまで大変繁盛いたしました。

金相場会所移転、金融の中心地へ

そこから北浜の時代が流れ出すのは寛保3年(1743)のことです。

当時、貨幣の価値をは金や銅は枚数、銀は重さで決まっていました。
また、関東では金が関西では銅(銭)が主に流通しており、金と銅の交換比率などは法令であったもののあまり信用されませんでした。
以上3つの理由から貨幣の価値は相場によって決定されその相場を決めるための金相場開所が幕府公認で高麗橋にて開かれました。

そこからモノ・カネ・ヒト・情報が集積していた北浜は相場を安定して決定できると見なされ、寛保3年(1743)金相場開所が北浜に移転されました。

さらに安永6年(1777)には特定の商人のみ俵物を売買するための俵物会所が備後町から北浜へ移転されました。
俵物とは煎海鼠(いりなまこ)・乾鮑(ほしあわび)・鱶鰭(フカヒレ)など乾物を俵詰めにしたもので中国の高級食材として需要が高く、
輸出だけでなく銅などの貨幣の代わりとして海外の決済としても使われました。

両替商らが銀行設立、日本の金融の中心へ

明治以降は有力な両替商らによって北浜に銀行が設立されました。
有名どころだと三井住友銀行の前身である住友銀行が移転したり、三菱UFJ銀行の前身である三和銀行が鴻池銀行の拠点を引継ぎ営業しておりました。

明治11年(1878年)には金相場会所跡地に大阪株式取引所(現 大阪取引所)が設置され”大阪のウォール街”と呼ばれるようになりました。
※アメリカのウォール街のニューヨーク証券取引所より

現在

歴史に裏付けされた信頼と、現代の洗練された活気が共存する街、北浜。
伝統あるこの地で、皆様がより快適に、そしてクリエイティブにビジネスを展開できるよう、レンタルオフィスSYNTH北浜はこれからも上質なオフィス環境をお届けしてまいります。

以上、
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にてサービスオフィスを展開するSYNTH(シンス)ブログでした!
次回もお楽しみに♪
参考文献
大阪市.18.堂島米市場(どうじまこめいちば)跡碑”.大阪市(2026.5.21)
大阪市.35.大阪金相場会所(きんそうばかいしょ)跡”.大阪市(2026.5.21)
大阪市.”大阪俵物会所”大阪市.(2026.5.21)
大阪市.五代友厚像と大阪取引所.大阪市.(2026.5.21)
三井住友銀行."沿革”.三井住友銀行.(2026.5.21)
財務省.”路線価でひもとく待ちの歴史 第71回 大阪キタ 水の都の再生物語”.財務省.(2026.5.21)

サムネ写真 
ホームズ.「北浜」駅周辺の住みやすさは?モダン建築の聖地としても知られる「北浜」駅周辺の魅力やおすすめスポットを紹介”株式会社ホームズ.(2026.5.21)

文章内写真
浪花名所図解.「堂じまこめあきない」.(2026.5.29)
大阪市.35.大阪金相場会所(きんそうばかいしょ)跡”.大阪市(2026.5.29)

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